今でもあの日の記憶は鮮明に蘇ってきます。
街は、まるで何もなかったかのようにいつもと変わらぬ様子で
動いていますが、大きな通りから一歩入ってみると
そこにはまだ更地のまま放置された土地が点々と残っています。
表面上では、街は復興を遂げ、人もあの日の事を忘れたかのように
振舞っているのですが、心の中にはいまだ癒されない傷を抱え
苦しんでいる人も沢山います。
大阪で震災を経験した僕でも、揺れている時の様子や
家具が倒れ、食器が壊れる音を覚えているのですから。
震災から2週間くらい経ってから始めて入った長田地区。
実際は知らないはずの戦争の焼け野原を想像してしまいました。
その後、仕事の関係で廻ったボランティア活動で、被害に
あわれた人たちの話を聞き、家を廻ってアドバイスをしましたが、
そこに求めている言葉が人によって全く違うことにも驚かされました。
震災の事は早く忘れて、前をむいて生きろという人もいます。
確かに日常的にはそうでしょう。
しかし、時には後ろを振り返って震災の時の話をしたいときも
あるでしょう。
そんな時に、もうそんな事を言うのは止めろと誰が言えるのでしょうか。
今でもずっと心の中に引っ掛かっている物を、お互いに
話し合える時があっても良いのではないだろうか。
被害にあった人たちが集まって話をする場があってもいいように
思います。きっと、どこかでそんな事はやっているのではないかと
思っています。知らない物同士が、お互いの話をし合って、
つかえていた物を吐き出すところ。そんな場所が。
市や県がそんな場所を提供してくれていたら良いのになと思います。
僕はそこまではわかっていないので、既にあるのなら良いのですが、
もしまだそんなところはないというのなら、是非設けて欲しいと思います。
干支が一回りしたこの時、これからまだ長い道のりではないでしょうか。