2007年03月20日

地下鉄サリンから12年

地下鉄サリン事件から12年が経った。
考えてみると同じ年に阪神大震災があったのだ。
同じ年にあったのは分かっているけど、時間的なものが
わかっていないのに気付く。
12年といえば、干支が一周した事になる。
僕は関西にいるので、阪神大震災は何年とかはテレビなどの
報道で気がつくのですが、地下鉄サリン事件については、
改めて言われないと分かっていない。
やはり当事者でないという事は、これほど無責任なのだろう。

丁度阪神大震災の年の事だった。
お盆休みに妻の実家に帰った時に、たまたま妻の従妹が
横浜から帰ってきた。
あっ、そうそう妻の実家は高知なのです。
当時はまだ明石大橋は完成していません。
僕らは当然阪神高速が壊れたのはわかっているから、中国縦貫道から瀬戸大橋を渡って行きました。
ところが彼らは、名神からそのまま阪神高速に入ったようです。
とうぜん途中から高速道路は無いので地道に入って大渋滞に
巻き込まれ、12時間もかかったようです。
僕らから見れば当たり前と言うか、無謀な選択だと思いますが、
結局彼らは忘れていたんですよ。
半年前に阪神高速が横倒しになったあの映像を。

もともと、関東の人にとって阪神大震災は他岸の出来事のようでした。
その日の議員達の表情を見ていてもわかるように、どこか遠くで
起こった事なんだろうという感じ。
それと同じように僕たちも、どこかで災害があってもやはり
ニュースで見る世界なんですよね。

地下鉄サリン事件にしても、あれほど日本中を騒がせたのに、
ニュースで見るまで覚えていなかった。
言われて見れば、あ〜〜今頃だったかみたいな。

「地下鉄サリン事件被害者の会」の世話人をしている高橋シズエさんが
コメントを言っておられましたが、未だに険しい表情でした。
ふと、あの人の笑った顔がみたいなと思った。
考えてみると、高橋シズエさんの笑った顔を見た事が無い。
以前を知っているわけは無いから当然なんですが、笑った顔を見ていない。
たとえ裁判で勝ったとしても笑えないのだろう。
想像できないほどの悔しさや苦しみと戦ってきているのでしょう。
僕が中途半端な気持ちで声をかけれる立場ではない。

でも、いつか笑った顔を見てみたい。
心から笑える日が来て欲しいし、そうならなければ間違っている。
失ったものは返らないけれど、それを補う事は出来るはず。
他の被害者や遺族たちも自然に笑える日が来て欲しい。
その笑顔を僕は見てみたい。
きっと優しい顔をしているのだろうなと目に浮かんできた。

posted by ツボ at 23:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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