ところがこれが意外と分かり難いのだ。
電報と言っても、この歳になると打つのは弔電ばかり。
つまり時間が無くてすぐに打たなくてはいけない。
先日友人のお父さんが亡くなったので、弔電を打とうかと思ったら
これがよく分からなかった。
電話帳のような文例が一目で見れなくて、順番に見ていかないといけない。
あれとこれはと見比べる事も難しく、結局お通夜に行くから
止めにした。
こんな事は続く物で、昨日妻のおじさんが亡くなったと言う連絡が入り、
またまた弔電を打つことになった。
聞いたのが遅かった為に、電話の受付けは既に終っており、
ネットで申し込むしかない。
ところが斎場の住所が分からないから出来なかった。
翌日の午前なので間に合うかどうかも分からない。
確認する為に今日の朝に電話でするかと言う事になった。
朝一番で電話をしてみるが、時間的に間に合うかどうかわから
ないと言うし、対応がかなりいい加減だったようだ。
全国で受けている為に、地元の人と言うわけではない。
最初に電話した時のオペレーターは、斎場の名前で多分
これでしょうかと聞いてきたようだ。
確認してから連絡するとして、再度かけたときのオペレーターは、
はっきりした事が分からなければ受付できないと言う。
出たオペレーターによってここまで違う応対をされるとは。
結局時間が無くなってきたのと、オペレーターの対応の悪さで
電報を打つのを止めた。
なんでもネットで簡単に出来る時代になったのだが、その書き方に
よって余計に分かり難くなっている。
「差出人の名前を書くか?」と聞いてくるのだが、「はい」と
言って記入すると文章の後に名前が来る。
「いいえ」と言った時には、無記名の電報なのかと思ってしまう。
作った本人はわかっているのだが、操作する方は分からない事も多い。
電話だと直接話が出来るが、ネットは一方通行でわからない時には
お手上げになってしまう。
民営化した郵便局は、今後どうして行くのだろうか?
便利になる事と、不便さは紙一重なのだろう。