2008年04月20日

聖火リレーは何の為

各地で話題になっている、北京オリンピックの聖火リレーですが、
もはや本来の意味は無くなって形だけのものとなってしまった。

聖火リレーが始まる数週間前に起こったチベット騒乱。
中国のチベットに対する迫害に対して、チベット仏教の僧侶達と
民衆が立ち上がった。
それに対して中国政府は、武力による鎮圧を試みた。
結果として、100人以上の人が亡くなり、怪我人の数はわからない
位の被害者が出ている。

これは当初から、世界中が注目している北京オリンピックで
自分たちのおかれている状況をアピールし、世界に向けて
メッセージを発する為だと見られていた。
そのメッセージを受けて、聖火リレーが行われる各地で
チベット人と仏教徒に加えて、中国当局を批判する人たちが
聖火リレーの妨害と言う行動に出てしまった。
「平和の祭典」と言われるオリンピックが、政治的な暴力と
暴動によって踏みにじられてしまったのだ。

聖火を奪おうとする者、消そうとする者、リレー自体を妨害する者も
出てきた。
各地での対応もコースや時間の変更、車での移動、挙句の果てには
一般市民をシャットアウトして行うと言うまったく聖火リレーの
意味を成さない状態にまでなった。
ここまでくると、今行っている聖火リレーに何の意味があるのか分からない。
「仏作って魂入れず」
危険と見ると自らの手で聖火を消す中国の聖火防衛隊。
聖火と言うものの本質も分からず、妨害に屈することなく
リレーさえやり遂げれば良いとでも考えているのだろう。

しかし、聖火リレーが始まったのは1936年のベルリンオリンピックの時に
ヒトラーが始めたものです。
ヒトラーは、ナチスドイツの組織力と能力をアピールする為に
リレーを行ったと考えられています。
それと同時にもうひとつの意味があったと言われています。
それはギリシャからベルリンまでの聖火の通るコースを下見と証して
入念に調べさせた。
敵国の地形や道路を把握したヒトラーは、オリンピックの数年後に
個のリレーのコースを逆に辿るようにしてナチスドイツ軍の
侵攻を行っている。

つまり、聖火リレー自体が元々政治的な目的で始まったとも言えるのだ。
オリンピックも政治的なものが強く出ていて、裏舞台は決して
「平和の祭典」と呼べる物ではない。
権力とお金にまみれたイベントなのだ。

だが、例えそうであっても、スポーツそのものは平和でフェアな
ものだと思いたい。
相次ぐルールの変更や疑わしいジャッジも存在するが、
そこで戦うアスリート達には関係ない。
4年に一度しかないチャンスを目指して、練習を重ねてきているのだ。

チベット騒乱への抗議は、抗議としてしたら良い。
中国も、聖火リレーの妨害を非難するのではなく、チベットに対する
自分たちの行っている事を考えるべきだ。
26日には日本でリレーが行われる。
スタートとなる善光寺は、リレーを辞退した。
これは同じ仏教徒として正しい判断だろう。
日本でのリレーがどのような物になるのか分からないが、
抗議活動は行われながらも、聖火はみんなの前を走って
無事に終ってくれる事を望む。
妨害行為は、中国へのアピールでもあるが、ランナーたちにも
可哀相な事なのだ。
今後大会の中での妨害などの行為に発展しないと良いのだが。
posted by ツボ at 17:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック
にほんブログ村 住まいブログ 住宅設計・住宅建築家へ ←にほんぶろぐ村 住まいブログに参加しています
坪内優建築設計事務所のHPへ 【坪内優建築設計事務所のHP】
ブログのトップページへ
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。