2009年11月10日

ベルリンの壁崩壊から20年

2009年11月9日は、東西ドイツを分断していたベルリンの壁が
崩壊していから20年となる。
第二次世界大戦後に、資本主義国が支配する西ドイツと、
社会主義国が支配する西ドイツに分断統治されていた。
冷戦時代に物資の流通などを巡り、東ドイツ国民が西ドイツに
亡命する事が多くなってきた。
結果、西ドイツをぐるりと囲む形でベルリンの壁が建設され、
東西ドイツは自由に行き来する事が出来なくなってしまった。

その間に、東西ドイツの経済格差は広がり、西ドイツは国際社会の中で
発展をしていった。
東ドイツ国民の西への亡命欲求は強くなり、ピクニック事件と呼ばれる
出来事をきっかけに、ベルリンの壁は事実上無意味となった。

溜まっていた不満をエネルギーに、東ドイツ国民のデモが大きく広がり、
政府も海外旅行自由化法案を作らざるを得なくなった。
その法案が11月9日に可決され、翌10日に施行する予定だったが、
間違って生放送の会見で解禁と報じてしまった。
それを見た国民が壁に殺到し、大きなうねりによってベルリンの壁は
あっという間に崩壊する事になった。

当時テレビでその様子を見ていたが、世界が動きかけているという感覚で、
中継に釘付けとなっていたのを覚えている。

ベルリンの壁は完全に無くなってしまったが、生活はがらりと
変わったのではないようだ。
相変わらず、旧東ドイツは経済的には苦しい。
以前の方が、みんなが平等でそれなりの暮らしが出来ていた。
資本主義の波にのまれて格差社会が始まった。
上手く波に乗った者は、チャンスを活かして裕福となり、
乗り損ねた者は前よりも苦しい生活を送っている。
実際何がその人にとって幸せだったのか分からない。

20年も経った今でも、東西ドイツがまったく同じような社会に
なっていない事は、当時は想像していなかっただろうし、
これからも埋まらない問題なのかも知れない。

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posted by ツボ at 16:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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