ゴールを切った。
大阪城音楽堂に集まったファンの前で、最初のゴールイン。
今年の寒さの中で、待ち続けたファンと共に喜びをかみしめていた。
陸地はマラソン、海はヨットで移動。
その距離は4万1000キロにおよぶと言うからものすごい。
それぞれの場所で、気温差は激しく、並大抵のことではない。
ヨットでも、嵐に会い、遭難するのではないかと思うこともあった。
2008年12月17日に、なんばグランド花月を出発してから、
途中で前立腺癌が見つかり緊急手術、リハビリの後再開し、
ついに2011年1月21日にゴールを迎えた。
大阪城音楽堂を出た寛平ちゃんは、スタートの場所なんばグランド
花月に戻り、最終ゴールとなった。
会場には先輩・後輩の芸人たちが待っていた。
寛平ちゃんを応援する歌を送った忌野清志郎さんが、この時を一番楽しみに
していただろうが、その姿が見れなかったことが残念だ。
寛平ちゃんも、清志郎さんのことを思いながら、自分も前立腺癌と戦い、完走することを誓ったのだろう。
それにしても、どうしてこんな大層な事を考え、それをやって
のけたのだろうかと、今更ながら感じる。
走ることが得意としても、誰でも出来ることではなく、
相当な覚悟と肉体的精神的にタフでなければ出来ないことだ。
ゴール後は、仲間やスタッフと共に打ち上げをして、朝まで
飲んでいたらしいが、それもまた鉄人と言える程だ。
寛平ちゃんならやるだろうと思いながらも、実際に無事に
完走できた事は驚きに近い。
間平ちゃん、本当にお疲れ様でした。
暫くは、体を休めて、またギャグを連発して欲しいと思います。
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